障害者がこの世にいる意味ってなんだろう?

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お盆にアイカルディ親の会に出席した。その時出た話題が[相模原障害者施設殺傷事件]について。約一年前に19人の障害者が施設従業員に殺された事件だ。

その当時、私はまだ自分が障害者の親になるとは知らず、『酷いことをする人がいるんだなー』くらいにしか思ってなかった。でも、親の会の方達は当たり前だけど、当事者意識で見ていて、とても悲しかったそう。

またその時にネット上では、犯人を擁護する(障害者は生産性も低く、社会に取って役に立たないので、殺しても良い)姿勢を取る人も多くいたそう。




さて、ここで[障害者は社会にどうして必要か]を考えてみたいと思う。人は生まれたからには生きる権利があると思うし、障害者も誰かの可愛い子には違いないし、誰も殺す権利が無いのは明らかだけれど、ネット上で擁護する声が多いというのが気になったので考えてみた。

極論として、障害者は全員抹消する。という法律にしたらどうなるのか?まず、事故で障害者になった多くの人が抹消される。精神病んで、障害者認定なんて抹消されるので、病院なんていかない。年取ってどこか体が悪くなったりしたら、障害者で抹消。うん。考えるまでもなく混沌とした世の中になるね。そもそも何を障害とするのか。人は年老いていけば、どこかしら不具合は出るし、完璧な人間なんていないから、そもそも全員が障害者とも言えるのかもしれない。

犯人は重度の障害者のみを抹消と考えていたみたいだけど、何を重度とするのか。
また最近では医療の発達により、重度の障害がある方でも治療で改善したりしている人もいる。その機会を奪っていいのか。とか考えていると、話が別の方向へ行きそうなので、軌道修正。

 

さて、障碍者がこの世にいる意味ってなんだろう?

今の私が思うに、それは【人の優しさや慈しむ気持ち】を引き出すこと。人と人を繋げる役割。

また【無条件の存在価値】を示すことで、社会を混沌から守り、穏やかにさせる事なのかなと思う。

 

あと私にとってのあーちゃんは、最初は【お荷物、悩み、足枷、悲しみを運ぶもの】だと思っていたけど(ごめん。あーちゃん)今は【元気の源】です。
この子のために、ガッツ出しますか!って思うし、(せっかく五体満足で体も自由に動くし、恵まれているんだから)自分のためにガッツ出しますか!とも思う。

当たり前の感謝を常に忘れないでいられるし、周り(私や旦那の父母だけでなく、兄弟、友達や友達のお母さん、地域の人たち、リハビリの人など)とどんどん繋がっていっているのがわかる。人と関わるのが苦手な私がこうなるとは。もっともっと沢山の人と繋がって、私も楽(楽しいという意味も含めて)をしたいし、周りにも循環させていきたいと思っている。これはあーちゃんが障害児であるおかげなんだよね。

最終的に話があーちゃんになっちゃったけど、障害児の親もそう悪くないじゃないって思う今日この頃。

 

追記:友達から聞いた話。海外に毎年、障害がある子供を連れて、遊びに行くお母さんがいるそうです。なんで海外かというと、そこでは障害児の子を見ると、みんな喜んで手をかしてくれるそう。道行く人も、ホテルでもどこでも。この方は我が子の将来を考えて、海外移住も計画中だそうです。どの国か忘れたのがショック。確かパラオだったと思うけど、何か国か候補地があるとも言ってました。

そういう国に日本人も見習うところがあるはず。もちろん私もね。